薬を使わない薬剤師の“健康自立ブログ”

オプジーボでがんが治る?どうなる?がん治療が大きく変わるがん治療薬誕生!!

日本人の2人に1人ががんになり、3人に1人が命を落とす。
日本人の死因トップであるがんの治療は主に3大治療といわれる外科的手術、放射線治療、そして化学療法(抗ガン剤治療)によって行われています。
しかし、今、このがん治療が大きく変わる可能性が出てきたのです。
日本の医療体系を覆してしまうかもしれない薬の名前は『オプジーボ』がん細胞によってブレーキをかけられていた免疫細胞のブレーキを解除し、自分の免疫力を使ってがん細胞を攻撃する新たな免疫治療薬「チェックポイント阻害薬」としてオプジーボ(一般名ニボルマブ)が承認されたのです。

世界に先駆けてチェックポイント阻害剤を実用化したのが関西の中堅製薬会社、小野薬品工業です。
オプジーボは体重60kgの患者さんの場合、1回の点滴治療で133万円かかり、1年間継続すると、その薬剤費は4500万円となります。
10人で4億5千万、100人で45億、1000人で450億、1万人で4500億・・・。

免疫治療薬オプジーボの誕生のストーリー


2012年、「オプジーボが従来の抗がん剤と比べ極めて有効」という論文が臨床医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載され「過去30年で試みられたがん免疫療法で、最も高い奏効率(がん消失または一定割合以上縮小した人の割合)」と称されました。この論文はウォール・ストリート・ジャーナルなどでも大きく取り上げられ、世界的な革命技術として、2013年には米科学誌サイエンスがその年の画期的な研究に与える「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」のトップを飾りました。

2014年9月には、台北市で開かれた「唐奨」の授賞式では、オプジーボの生みの親、本庶佑(ほんじょたすく)・京都大客員教授(74)が表彰されました。「唐奨」は「東洋のノーベル賞」ともいわれています。免疫学の第一人者である本庶さんのグループが、がんと戦う免疫機能を高める上でカギを握る「PD-1分子」を発見したことが評価されての受賞でした。この分子が、抗がん剤「オプジーボ」(一般名ニボルマブ)を生み出したのです。

オプジーボは、ブリストル・マイヤーズスクイブ社と日本の小野薬品工業が共同開発した薬です。日本では、小野薬品工業が世界に先駆けて、今からちょうど2年前2014年7月、根治切除不能な悪性メラノーマの治療薬として、オプジーボの製造販売承認を取得しています。これにより、ニボルマブは世界で初めて承認を取得したPD-1免疫チェックポイント阻害薬となったのです。今や米メルク、スイスのロシュなど世界の製薬大手もこの仕組みを使った免疫薬の開発を加速させています。

がん細胞やウイルスなどと戦う免疫細胞は、攻撃を仕掛ける「アクセル」の役目と、相手が敵か味方かを判断して攻撃を抑える「ブレーキ」の役目があります。がん細胞は、免疫細胞から攻撃を受けそうになると、逆に免疫細胞のブレーキを働かせて、自分を攻撃してこないようにしてしまうのです。オプジーボは、このブレーキが働かないようにして免疫細胞が本来の力を発揮してがん細胞への攻撃を再開させるのです。

ブレーキがかかる仕組み


承認されたオプジーボは、 「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれる薬の1つですが、「免疫チェックポイント」は、本来免疫の暴走を防ぐ仕組みのことで、これをがん細胞は悪用しているのです。がん細胞の表面にある「PD-L1」というタンパク質が、免疫細胞表面の「PD-1」というタンパク質をつかみます。するとPD-1をつかまれた免疫細胞は、マヒして動けなくなり、がん細胞を攻撃できなくなるのです。オプジーボは、免疫細胞のPD-1をあらかじめブロックして、がん細胞のPD-L1がつかもうとしても、つかめないようにする薬なのです。
オプジーボの開発は1992年に遡ります。本庶先生のグループは、未知の分子を見つけ、「PD-1」と名付けました。その働きを突き止めるためPD-1を人工的に失わせたマウスに、関節炎や腎炎など、免疫が過剰に働くと起きる症状が表れることを確認し、1999年にはPD-1が免疫抑制に関わっている仕組みを解明しました。
本庶さんらは2002年、これらの成果を論文にまとめ「いずれ、がん治療はこの免疫療法が主流になるはずだ」と期待を膨らませましたが、論文はほとんど報道されなかったのです。
薬の開発も、思うようには進みませんでした。開発を依頼した製薬会社はどこも前向きには捉えてくれませんでした。当時も免疫システムを使う「がん免疫療法」は、外科的手術、放射線治療、そして化学療法(抗ガン剤治療)の三大治療に並ぶ「第4の治療法」と期待されていましたが大半は成功せず、実現化は「ゆめ物語」だとされていたのです。
逆風の中、本庶さんの恩師である京都大学早石修教授(当時)と付き合いのあった大阪の小野薬品工業が理解を示し、いよいよ共同開発が始まったのです。
しかし、まだ試練が続きます。薬を作るには、PD-1分子の働きを邪魔する「抗体」が必要でしたが、小野薬品工業には抗体を作る技術がありませんでした。抗体技術のある国内の会社13社に打診しましたが全てから断られてしまいます。
国内では見つからなかったので、海外に打診し、とうとう米メダレックス社が抗体を作ってくれることになったのです。メダレックス社は、がん免疫に真剣に取り組んでいた会社で、PD-1にも強い興味を持ってくれたのです。後に世界初のがん免疫薬「ヤーボイ」も創製されました。2011年には、メダレックス社がブリストル・マイヤーズ スクイブ社(BMS)に買収されて、小野薬品とBMSのチームができあがりました。

こうして、米ベンチャー企業との提携で抗体を入手することができて、オプジーボは誕生したのです。
しかし、ヒトでの臨床試験もかなり苦労したようです。実際の治療薬候補が完成し治験が始まったのは2006年ですが、前述のとおり「がん免疫療法」自体が信頼されていなかったので、がん専門病院に臨床試験を頼んでも、積極的には使ってもらえません。
病院には臨床試験中の抗がん剤が山ほどあって、オプジーボは当然、なかなか使ってもらえなかったのです。長い時間がかかりましたが、少しずつ患者さんの登録が実現していきました。すると、オプジーボは劇的な効果を示したのです。こうなると、医師の優先順位もいちばん上になりました。そこから臨床試験も加速度的に進み、オプジーボが誕生したのです。

免疫をつかさどるPD-1が作り出す分子を「チェックポイント(関門役)」に見立てて、オプジーボは「免疫チェックポイント阻害剤」と呼ばれます。
小野薬品工業には血流改善薬「オパルモン」とアレルギー性疾患治療薬「オノン」の2つの主要薬がありますが、特許切れや後発薬の攻勢もある中、オプジーボ効果で小野薬品の市場評価は急速に高まっています。株価も今年に入って急騰しています。
「今後数年でオプジーボのロイヤルティーだけでも年数百億円は堅い」「オプジーボは単独の薬で2020年の予想売上高が83億ドル(約1兆200億円)に達し、世界3位になる」との分析もあります。
がんの新たな治療法の扉を開け、超高額の薬価をたたき出したオプジーボ。日本発の免疫チェックポイント阻害薬に世界の目が注がれています。

(文=宇多川久美子 Business Journal 掲載記事)


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